語らいの家とは
「石仏-語らいの家」が出来るまで・・
①鉢での民俗調査実習
私たちは、かって立教大学学芸員課程に学び、博物館実習の一環として1976年度に実施された、
新潟県十日町市吉田地区真田甲(通称「鉢集落」)における「鉢の石仏」の民俗調査実習に参加し、
以後40年以上にわたって集落の方々と交流を続けてきました。
当時、立教大学博物館学研究室では市博物館のオープンを間近に控えていた十日町市教育委
員会と共同して、市内各集落の民俗調査を数年にわたって実施していました。
7泊8日にわたる実習では、集落の三軒のお宅に民泊させてもらいました。お世話になったお宅
で受けた温かいおもてなしは大変嬉しく心に沁みるものでした。
1976年夏 実習最終日
②尾身ミノさんとの出会い
なかでも、分宿先のお一人である尾身ミノさんは、私たちの調査にも大変関心を寄せて下さり、
実習を指導していた立教大学教授の中川成夫先生の勧めもあって、亡きご主人の生業であった
木挽きについて研究し、「木挽きの仕事と生活」と題したレポートにまとめました。
このレポートは「十日町市における文化財の調査V」(十日町市教育委員会・立教大学1979年)に
掲載され、その文末には
「木挽きの調査を行いながら、今生きている者が消滅しようとしている「もの」の保存と、
それを記録し後世に残してゆかねぱならない役目があることを、また社会教育の重要性
を身をもって強く感じることかできた」
と記しています。
その後ミノさんは、開館した十日町市立博物館友の会・民俗研究グループに所属し、積極的に研
究活動を行い、その結果を次々に文章にまとめていきました。
1976年夏 実習最終日(中央が尾身ミノさん)
③手作りの資料展示室
また、一方では思いを実践に移し、近隣の方々の協力を得ながら木挽き以外の民俗資科の収集
を始め、自宅の2階を改造して「明治・大正・昭和の館」と名付けた小さな手作りの資料展示室を
つくりました。
ところがオープンを目指していた矢先に、2004年の中越地震で被災、翌年にはご白身が脳出血
で倒れられ、右半身麻抑のため鉢を離れての療養生活となられ、御自身で展示を公開すること
ができない状況になってしまったのです。
「明治・大正・昭和の館」 入口(階段の上)
④「石仏-語らいの家」の立ち上げ
そこで、ミノさんの強い意志を受け、私たち「鉢の同窓会」メンバーが中心となり、集落の人々、
親戚のいとこ会の皆さん、そして他の卒業生、友人たちと「石仏・語らいの家」を立ち上げ、
ミノ さんが収集された資料の展示公開を目指すことになったのです。
それは2009年、おりしも第4回大地の芸術祭か開催され、かってミノさんが給食を作り働いた鉢
の旧真田小学校が「絵本と本の実の美術館」として生まれ変わり開館した時でもありました。
8月の1ヶ月だけの期間限定の展示室オープン。多くの仲間が力を出し合い、週末には各種講
座、イベントも実施。多くの見学者、参加者に米ていただき、中でも石仏の駐車場で実施した専
門家を招いての木挽きの実演ワークショップは大盛況で、木挽き道具と技の素晴らしさを伝え、
実感できる機会となりました。
「石仏-語らいの家」 オープンの日 (2009.8.1)
⑤「石仏-語らいの家」ファイナルと今後のこと
2009年のオープン以降、不定期ですが、年1~2回のミーティングや合宿を行い、保管・展示資料の
整理の他、3年ごとの「大地の芸術祭」に合わせた公開や愉しいイベントなども行い、「石仏-語らい
の家」の活動を継続してきました。
ただ、お借りしている「語らいの家」の家屋が老朽化し、雨漏りもひどくなり、建物としては小規模の
修理では対応が出来なくなってきました。
また家主やメンバーも高齢化し、これ以上「語らいの家」を継続することが難しい状況になり、何回か
ミーティングの末、公開の終了を決断するに至りました。
今後は、その公開の場をホームページ上に移行し、WEB上での公開にしていこうと考えています。
今まで協力してくださったみなさん、ありがとうございました。
2021年11月 「石仏-語らいの家」一同。
「石仏-語らいの家」ミーティング (国立 2019.6.30)
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