鉢の石仏



鉢の石仏

 
     <十日町市教育委員会の解説>
  
                十日町市・市指定文化財 史跡 鉢の石仏
             
                                     (昭和53年1月28日指定)

     「鉢の石仏」は、江戸時代中頃の寛延2年(1749)秋、各地方を巡錫中(じゅんしゅんちゅう)、
     この地にて不思議な”天燈”をみた泉州(大阪府和泉市)の曹洞宗、蔭涼寺六世住職明屋有照禅師が、
     天燧の降りたところに突起していた奇体な石を本尊として、この地を永遠の仏法の道場とするため、
     開山したと伝えられています。

     開山にあたっては、禅師が最初に仏門に入った土市観泉院の主檀徒4人が地主となり、
     信州高遠より勘助以下6人の石工を招きました。

     工事は寛延3年(1750)から宝暦12年(1762)まで行われ、
     たずさわった人足、石工、大工の数は延ベ1万人を超えました。

     「いしぼとけ」は、十三仏や供養塔などの石塔をはじめ、
     四ケ所の神(弁財天、竜天、白山、稲荷)の石祠、さらに座禅堂、照利庵まで含めた
     約1万平方米(3千坪)の一区を総合した名称です。


     開山後も、十六羅漢、百庚申などの石仏・石塔がづぎつぎに建立され、
     時代か経つにつれて一層霊場化がすすみました。

     今でも民間信仰の霊地としてこの地を訪れる人がたえず、
     無病息災、安産の神としてあがめられ、広く内外に知られています。

          十日町市教育委員会


 

(鉢の石仏の中心 十三仏)

 
     <いしぼとけ保存会による解説>

               十三仏

     本尊を真中ににして蹄形に並ぶこの十三仏は宝暦2年(1752年)の春、
     鉢村の入口「羽口下」で見つかった一個の大石で造られたものです。

     十三仏の容姿は明屋禅師が自ら描きました。
     石工は信州高遠の棟梁勧六以下6人で同年6月24日から9月19日まで、
     工数二百余人をもって刻みました。

     ひきつづいて工数二百余人で十三仏の内側に
     明屋禅師の「袈裟」を形どって敷石を組みました。

     この敷石の上には何人であっても
     土足のまま上がってはいけないと言い伝えられています。
     またふしぎな”天燈”もここに降りるといわれています。

           いしぼとけ保存会

 
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